経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

うさぎとカメ

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こんばんわ。雪ん娘です




海外話しの続きです




オーストラリアでビジネスビザを取るのは
難しかったと言う話しですが



まず年齢が若くてそれはデメリットでした
当時私は22才だったので
25才になってなければ職歴が
生かされなく国へのアピール度が
足りないと言われていました



当時のオーストラリアの失業率は高くて
確か30%位だった記憶ですが
本国の失業率を無視して
他国の人間にビジネスビザを与えるのは
本末転倒という時流もありました



なので会社は
この人を雇う事で会社に利益が生まれ
オーストラリアの人間を更に雇い
人材の育成が出来ますという事を
国にアピールしなければならなかったんです



オーストラリアは観光業の収入が
2番目にあがる位重要なポストを
占めていたので
日本からの観光客相手に
日本語が話せるというのはメリットでした



ラッキーだったのは
ワーキングホリデーは
同一雇用主の元で3ヶ月しか
働けないというルールがあり


私は
日本で就職した旅行会社のコネは
最初には使わなかったんです



日本の旅行会社が委託していた
オーストラリアの受け入れ会社が
レベルが高くて私には無理!と
気後れして応募出来なかったというのが
1番の理由でした
(求人の条件が要英語、英検2級以上レベル)



ガイドの世界というのは意外に狭く
空港でお客様の到着を待っている間
他社のガイドでもガイド同志
顔見知りになり待ち時間に
おしゃべりをするようになるんですね



そんなおしゃべりが
結果ラッキーに結び付いたんですが



私が日本の旅行会社に居た噂を聞いた
そのレベルの高い会社から
ある日連絡がきて
「次はうちの会社に来て下さい」と
向こうからスカウトがきたんです


それは
ワーホリの期限を迎える最後の3ヶ月を
残した時でした



ビジネスビザを取りたい希望がある旨は
勿論伝えましたが
枠が無いとの返事で



やっぱり1年で帰らないといけないかなぁって
半分以上は諦めていた時



同じく空港でおしゃべり仲間だった
年配のガイド仲間の方が
独立して会社を立ち上げるから
ビザ取りましょうか?と
言ってくれたんです



中国資本の会社だったので
きちんとした理由があって
私を正式に雇う事で営業する事なく
シドニーで一番ギャラもレベルも高い会社に
そのまま私を継続で働かせる事が出来るから
向こうにとってもWinWinだったのです



私が最後の3ヶ月働いた会社も
ビジネスビザを取って貰える事に
なりましたが継続できますか?と聞いたら



ビザがあればyesと言う返事で
何故なら
私には日本の本社の人間の顔を知っているし
社長の顔も知っているという
付加価値が付いていたからです



本当に



運がよかったのか
順番がよかったのか
タイミングがよかったのか
最初から決まっていたのか


わからないんですが



ワーホリのビザが切れるギリギリで
ビジネスビザの申請を国にあげることが
そんな流れで出来ました



その後は
延長、延長なので
かかったのは費用位で
ビザをとってくれる会社という
スポンサーを見つけるのが
1番の難関でした



ただ1つ学んだ事は
仕事でお客様に実際に接していない間の
何気ない待ち時間や休憩時間でも
人は人を見て評価してるって事でしょうか



裏にいようが
表にいようが
変わらない自分でいる事
それが私自身のルーツになったのではないか?
と思います



馬鹿正直過ぎて
損をしてしまう事も勿論ありますが
コツコツと
変わらない信念で生きる事は
でだしは遅れはとるかもしれませんが
最終的には何かを
残すことが出来るのではないかと
今では思っています



口下手な人
要領の悪い人は


口上手な人
要領の良い人には
叶わないんですね



まさにうさぎとカメの世界w



そしてありがちなケースは
前者のタイプで結果を出した人は
後者のタイプに多々利用されます



私はなんとなくですけど
利用され過ぎて
人生も後半戦に入ってから
後者のタイプが匂いで
わかるようになりました



人のふんどしで相撲をとろうとする
嫌いなタイプです(笑)



苦労して取ったオーストラリアのビザも
結婚した時に
別れた主人に名義を書き換えて
しまったんですね……



それで離婚の時に
私にはビザが無くなり
帰国しか選択がなかった訳ですから(笑)
本当に馬鹿ですよねw



私は
そういう競争社会から
自分の意思でリタイヤしたので
もう冷たいと言われようと
薄情だと言われようと
関わりあいたくは、ないです



心を病んでまで
記憶やらなにやら無くしてまで
精神薬を手離せない環境に身をおいてまで
競争する意味がありますか?



意味があるとしたら
自分の大切な物を守る為です



私の場合は
子供でした



私よりももっと未来を生きるのが
子供ですから
子供の未来が私には大切でした



その子供が
私に自分のやりたい事をやって
好きにもう生きなよって
今、言ってくれてるんですね



私の未来?


考えた事もなかったけど



人生もやっと後半戦位なので
どんな未来が待ってるんだろう?



なにもかもわからないけど
1つだけ決めている事は
穏やかに静かに暮らしていきたいなって
思っています




実は数年前まで
今度は違う方面から
オーストラリアの永住権を新たに取ろうと
頑張ってたんですが


2度に渡る50年に1度クラスの
大洪水に現地がみまわれ
スポンサーになってくれる予定の
会社が撤退を決めてしまったので
流れました



だけど今思う事は
永住権を取らなくてよかった!って
心から思っています



もし取っていたら……
私の心は元に戻ってなかったと思います



そして過去の記憶も
取り戻す事なく
「今」の私を思い出しもしなかったのだと
思います


そして
過ぎてみないとその時の意味は
分からない事だったりします



なんだか話しが脱線してしまっているので



それでは



今日はこの辺で(笑)