経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

親愛なるりさちゃんへ

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こんばんわ。雪ん娘です





今日は1人の女の子の話し。





彼女とは
本当に酷い時に出会った




ほとんど同時期に
強制的に精神病院に入院されられた
いわゆる措置入院同志だった




彼女も私もたばこを吸った
なので喫煙ルームでいつも顔を合わせた




いつも髪の毛を2つに結んで
「随分若い子やなぁ」って思ってた




しばらくの入院生活が続いて
私も彼女もだいぶ入院生活にも慣れてきて
退屈になったのかな?




喫煙ルームで
どちらともなく話しかけて
おしゃべりをするようになった



そしたら同い年で
彼女も私の事を
「随分若い子やなぁ」って思ってたみたいで
お互いに笑って
すぐに仲良くなった



色んな事を話して
自由な時間は限られた時間だったけど
彼女と話すのは楽しかった



しんどくて強制的な入院になった筈なのに
何故か私は入院生活では彼女と笑ってた




私と同じようにコロコロ笑う子だった




3~4ヶ月一緒にいて
私の方が少し早く退院になって
退院したら絶対遊ぼうね!って
約束して



私は東京に戻り
彼女の家は偶然だけど
私の実家の近所だった



しばらくして
彼女から退院したと電話があった
「会おうか?」って
初めて院内着以外を着てる彼女に会った



私も彼女もちょっとお洒落をして行った
ご飯を食べてその後
ファミレスでドリンクバーをした



会話が尽きなくて
朝の5時までファミレスでおしゃべりした



そのあとも
よく電話で話した
必ず長電話になった



仕事の事、恋愛の事、家族の事
彼女は信仰を持っていたので
神様の話しもした



彼女はスウェーデンに一時期住んでいて
私はオーストラリアだったので
海外の話しもした



歌う事も大好きで
私も歌う事が好きだったから
歌の話しもたくさんした



会うと必ず朝帰りになった
カラオケも7時間とか平気で
2人で交互にずっと歌ってて



病院で出会った割には
悩みとかはあまり話さなくて
いつも2人で笑ってたような気がする



勿論不幸な生い立ちはお互いあるのだけど
とにかく前向きだった




ある日
いつもの駅で待ち合わせた時に来た彼女は
松葉杖をついていた



どうしたの?って聞いたら
「3階から飛び降りるのに失敗しちゃったの」
って言ってた



そして私に
「どうしたらいいと思う?」って
「やっち(私)にはK君(息子の事)がいていいな
りさには何もないんだよ」って言ってた



「これからだよー。私達まだ30代だよ」って
私は言った



しばらくして珍しく彼女が
「やっちんとこに泊まりにいっても良い?」
って聞いてきたので
「いいよ。おいで」って言って
彼女が泊まりにきた



彼女は大きなタケノコを持ってきた
「タケノコご飯作ろうか?」って私は言って
たくさん作った



彼女は
「食欲ないんだ…………」って
食べなかった



いつもは私の2倍はおしゃべりな彼女が
ほとんど何もしゃべらなくて
様子がおかしかった



どこか出掛けようか?って言っても
「ううん。ここにいる」って
お布団の上でゴロンって
横になってるだけだった



泊まりにきて3日目の夜だったかな
彼女がやっと口を開いてくれて
「やっち。次は失敗しないで
飛び降りたいんだ」って
彼女は言った



勿論私は
「だめだよ!」って言ったけども
私の声は彼女の心に届いてないような
気がした



次の日
私は彼女を外に連れ出した
「カラオケにする?
それともアイスコーヒー飲みに行く?
どっち?」って聞いたら



「アイスコーヒー…………」って答えたので
「じゃ、行こう!」って
近所の喫茶店に行った



彼女は1日に一回
私の作ったタケノコご飯を
ご飯茶碗に半分しか食べないもんだから
「ケーキ食べよか?」ってケーキも頼んで
モンブランを食べてくれた



「美味しい…………」って彼女は言って
「そうだよー。美味しい物食べてさ
笑って過ごそうよ。そしたら
福はちゃんと向こうから来るよ」って
私が言ったら



「やっち、ありがとね。
やっちのところに来てよかったよ」って
彼女が言って



そして5泊して
彼女は帰っていった



その後、私は心配だったけど
彼女のFacebookを見たら
大分に旅行に行くって書いてあった



だから私は電話をして
お土産を頼んだ



「やっちありがとうね。やっちはりさの親友だよ
好きな人に思い切って会いに行ってくる」って
彼女は言ってて
「そか。Facebookに写真アップしてね。
美味しい物食べてきてね!
お土産待ってるよ!」って
私は言って



そして




それが彼女と私の
最後の会話になった





Facebookの更新もなく
電話をしても繋がらず
音信不通になった




また入院したのかもしれないな…………って
退院したらきっと1番に
「やっちごめんねぇ。入院してた」って
電話が来ると思って
ずっと電話がくるのを私は待ってた



3ヶ月、半年…………
電話がこない
あんなにマメにFacebookも更新してたのに
全く更新もされず



電話も
「現在使われておりません」の
メッセージに変わるし



私は彼女の心を滅茶苦茶に壊したのは
実の母親だと知っているから
彼女に何かあっても
ただ彼女の事を「恥」だと思うだけで
連絡をするような母親でない事を知っていた




そして




私は
そうか。彼女はきっと飛び降りたんだなと
どこかで確信した




成功しちゃったんだなって思った




それでもいつか




「ごめーん。やっち~」って
電話がくるのではないかと
実は今でも待っている




あれから
10年以上の時間が流れた




どうしてるかな?彼女は。
元気かな?
どこかで幸せにやってくれていたらいいなって



ほんの少しだけ希望を持って
思っている




どうしていますか?りさちゃん。




私はタケノコご飯を見る度に
貴女を思い出すし
「やっち、仕事決まったよ!」
「りさ、頑張るよ!」って言ってた
貴女の笑顔を思い出します




今の私の生活
貴女に見せたかった




泊まりに来て貰いたかった




美味しい物をたくさん
食べさせてあげたかった




どこかで
私の書いたブログを目にしてくれるかな?




ちなみに



彼女の病名は
躁鬱病」でした



鬱状態より
躁状態の彼女の方が危険で脆かった事を
私は何度も見てきて
知ってはいたのに
結局は何もしてあげることは
出来ませんでした






それでは今日は
この辺で。