経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

愛の反対は無関心






こんばんわ。雪ん娘です






今日はマザーテレサの有名な言葉から。
「愛の反対は無関心である」な話し。






皆さんには「嫌いな人」はいますか?
いたとしたら…………
嫌いな人にはどう接していますか?





嫌いな人とわざわざ約束とかして
会いたいですか?
嫌いな人にわざわざ自分から近寄って
交流を深めたいですか?






私はどうかというと。






自分からは決して近寄らないし
たいして興味もないし
普段は「嫌い」とかも全く思わないけど………






向こうから近寄ってきたら
「嫌い」と思い出す程度。です(笑)






言ってしまえば「関心、興味」すらないのです。
だって嫌いなんですからwww






お互い近寄らなければ平和な毎日。
嫌な気分にもならず争いも招かず日々平和。






でも中にはわざわざ
近寄ってくる人っていますよね?





それはどんな心理なんでしょうか?






勿論。
「好き」ならば。





それは人でも物でも
人は関心を寄せる物です。
興味も出てくる。





なので私はこう思いました





嫌いなのにも関わらず
わざわざ近寄ってきて
嫌がらせや暴言ぽい事を吐いていく人は






「好き」と「嫌い」の境目が曖昧な方が
多いんではないでしょうか?






自分の気分次第で
「好き」とか「嫌い」がコロコロ変わるタイプ
そういう人はどちらにも行けるんです






自分の気分次第で
今日は「好き」と思っても
明日は「嫌い」になって、また時間がたつと
「やっぱり好きだ」と変わったり。






まぁ、そんなだから信用にも値しないし
「またですか?」となるのは当然で。







前にもこれは書きましたが
わざわざ「嫌い」な人を心に住まわせるとか
意味が無い事だし時間の無駄だと思います






基本的に「嫌い」と自分の中で認識された人は
「普段は全く思い出しもしない人」に
分類されているのではないかと思うのですね





そこには愛もへったくれもない
ただただ「無関心」な状態なのです






もしかしたら
「嫌い」が憎しみや憎悪に変わって
その気持ちが執着に結びつく時も
あるかもしれないですが





その執着はご本人がとてもしんどいと思います
その思いこそが苦しみになる。






貴方にその思いがあるとしたら。
どうしたいですか?





思いをとげたい?
やり直したり逆に仲良くなりたい?
交流を持ちたい?
ただただ憎しみあう争いをしたい?





どうしたいですか?





人の心というものは
ほんの少しでも「愛」があれば
そこには思いやりだとか
気遣いだとか
興味、関心、相手を分かろうという気持ちやら
信じてみようという前向きな気持ちやら





私の誤解だったのかな?
もしかしたら実はいい人なのかな?とか
そういう





いくらでもスタートに戻って
やり直してみよう。っていう
チャンスは生まれる物なのです






だけど他人に対して。
「無関心」になってしまったら
もうそこからは何も
生まれる物はないのです





「知人」でさえも無くなってしまう。
要はそういう事です。





まだ全くの見知らぬ他人様への方が
愛はありますよね。
通りすがりの物を落としたお爺ちゃんに
物を拾ってあげたり
「大丈夫ですか?」と声をかけてあげたり。





「無関心である」と言うことは。







貴方が通りすがった事さえも気がつかない。
そういう状態であると言うことです。






「愛」なんてものはこれっぽっちも
生まれる要素なんてあるわけがないですよね(笑)






「愛」から一番遠くに離れているもの。
それが「無関心」である。
と言えるのではないかと思います






それでは今日は
この辺で。