経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

愛猫の死





こんばんわ。雪ん娘です





愛猫の話しです。
私が22年間共に過ごした愛猫「うらち」は
6月9日午前10時22分に天国に召されました




今日は斎場で最後のお別れをしてきました
まだ現実感もなく
心の整理もついていない状況なんですが
うらちとの最後の3日間はとても長く
今でももっと他に
あの子にやってあげられる事があったのでは
ないか?と.....思っています





1人で大切な命の「死」というものに
向き合ったのも初めての経験でしたので
うらちが寝ている間
同じようにペットを亡くした方の
ブログを呼んで勇気付けられたりもしました




ただ当然なんですが
全く「同じストーリー」というのは無く
本当に飼い主様とその子の間でしか
分からないストーリーはあると思います




それでも
私だけではないんだ。という
勇気は貰っていました




なので私も心の整理がついてからですが
うらちとの最後の3日間のストーリーは
ブログに起こそうと思っています




どこかで誰かが必要になる時も
あるかもしれないと思ったからです





私は多分3日間で
一生分の「ありがとう」と
「大好きだよ」を口にしたかもしれません




それくらい長くて悲しくて辛くて厳しい
でも愛しい3日間でした





今はまだ正直現実として受け入れられていません
心が定まっていない感じ。
自分自身を直視出来ていない感じ。
ただ心が痛くて苦しくて
あの子の心臓が止まってからは涙もそんなには
出てこなくて。




無意識に心をガードしているんだろうなと...
だから今はどんな3日間だったのか
書くことが出来ません。





うらちが昨日まで寝ていた毛布に
うらちの匂いが残っているので
それを抱くと少し安心します





私はあの子に22年間本当に
支えられ癒され助けられ学ばされ
かけがえのない時間を貰っていました




「ありがとう」と「大好きだよ」
その2つの言葉しか今はないんです




「ありがとうね」って言葉に出す時に
涙が止まらなくなっていました




悲しみではなく
愛しくて涙が出るのです




なのでこれしか今は書けないのですが




「うーたん。私の子供になってくれて。




22年間私と共に生きてくれて。




幸せな時間をたくさん過ごさせてくれて。




本当に本当に




ありがとうね。




だーい好きだよ。」




私の愛猫うらちは
享年21才11ヶ月でその生涯を終えました。




それでは今日は
この辺で。

人の気持ち





こんばんわ。雪ん娘です






愛猫の病状は一進一退。
良くもならなければ
悪くもなってない感じですが
やっぱり日に日に弱ってきてはいます





鼻からたまに血の塊が出てきています
鼻の炎症が慢性化されると
血の混じった鼻水になるそうです




鼻水もそうなんですが血も固まると
息が出来なくなるので
常に目は離せない感じです




濡れタオルを常に側に置いて
息がしやすいように拭いてあげる事しか
今は出来ないです




足腰も更に弱ってきてヨロヨロしているので
トイレいきたそうだなー
ご飯かなーと
だいたい分かるので抱っこして連れていきます




動物って
痛いとか苦しいとか全く言わないので
私が見てあげるしかないんですが
だいぶ介護しながらの自分の生活にも
慣れてきました




ただ1つ。
仕事に行ってる間が心配なので
出来るだけ帰ってくるようにはしています




これが人間なら介護休暇なども
取れるんでしょうけど
動物はまだまだそういう面では
認知はされていないのです




家族なんですけどねぇ。飼い主にとっては。




人間社会の中で過ごす時間よりも
今の私はこの子と過ごす時間の方が大切だし
何より私自身がこの子と過ごしている時間は
心がピュアでいられて幸せを感じるんです




人間って愚かですよね.....




きっと1人1人ときちんと向き合えば
皆、「いい人」だと思うんです



なのに
社会という枠の中にはいると
とたんに鎧を身に付け
自分を守る為に人を利用したり
傷つけたりする




だけど私もいけないんです
社会の貴方方とは関わり合いたくないので。
ってオーラがひしひしと出てるんでしょうね




なので利用されたり
攻められる側に常に私はいるような気がします




でも群れの中にはいっても
私は右へ習えはしないで
「それは駄目ですよ。
ここは変えていきましょうよ」と
言ってしまう方なので
その言葉に責任を取っていかないといけない




それは自分が大変になるだけなのです。
だから黙って
関わらないのが1番なのです
そこが私のずるさになってると思います




なのでせめて団体戦ではなく
私と縁のあるであろう
1人1人に対してなら
自分の言葉に責任を持てるので




私は1対1を好むんだと思います





まぁ猫ちゃんとの関係も1対1ですしね
この子も私以外の人間に見せない顔が
たくさんあります




私だけが見てるこの子の顔や性格
可愛いしぐさや笑わせてくれる態度とか(笑)




そして私にとってこの子が一番であるように
動物も家族の一員と暮らしている人は
皆がそうなんですね 




決して私だけが特別な訳ではないのです




なので。
同じ境遇の人
同じ経験をした人
分かり合えるんですよ




それだけではなくて
同じ価値観の持ち主
同じ趣味を持っている人
似たような経験をしてきた人




まぁ、全て経験ですよね
今まで積み重ねてきた経験の
引き出しが多ければ多い程共感できる
イコール
人の気持ちがより分かるようになるって事です




人の気持ちが分かれば
そうそう他人様を利用したり
騙したり
攻めたり
調子のいいことを言ったり
出来ない筈なんです





私は過去酷い心の病気をしました。
だから。
心の弱ってる側の人間の気持ちが分かるから
私は味方になってあげられると思い





それでこのブログは
「人の心」をテーマにしたんです




普段から群れている人。
猿山のボスのお取り巻きでよいしょしてる人
自分を有利にする為に他人を蹴落とす人
そういう側にいる人は
何も私でなくてもよいと思うので




1人で悩んでいる人
孤独に何かと戦っている人を
私は応援してあげたいと
その気持ちは今でも何も変わってはいません






それでは今日は
この辺で。

天使になんてなれない






こんばんわ。雪ん娘です







前回の記事からだいぶ開いてしまいました。
愛猫は奇跡的にだいぶ回復して
今まで通りという訳ではないけども
自力でお水を飲み
自力でご飯を食べれるようになりました






猫ちゃんの鼻の病気は治る事はないみたいです
鼻水に血が混じっている時もあります
抗菌薬を使いながら出来るだけ
本人がしんどくならないように
濡れタオルをいつも側において
静かに暮らしています





仕事の空き時間も10分でも20分でも
帰れる時間があれば家に帰ってきています
お陰で私は毎日クタクタ(笑)





それでも毎日毎日
私に寄り添うように側にいるこの子を
見ているのは幸せです





例えるならそれは
純粋で淀みの全くない
透き通った浄化された空間って感じでしょうか





何一つ「悪」という想念を感じない
時間と空間なんです





そう言えば私は何年か前に
「生きててくれてるだけでありがたい」って
そんな気持ちになった事を思い出しました





例え会えなくても会わなくても
生きててくれてるだけでいいんだって
心の底から無事を願っていたことがありました






人は忘れてしまうものですね(笑)





いつからか。
遠慮なく物を言い
わざと相手が傷つく言葉を言ったり。
「あーもう、話すだけ時間の無駄!」って
思ったり。





人間とはつくづく勝手な生き物と思いますw






今日は本当はペルソナ的な話をしようと
ブログに向かったんですが
脱線してしまいました(笑)





私にとって猫ちゃんとの時間は。
純粋な自分を思い出させてくれる時間。
きっと究極の「癒し」の存在なんでしょうね




猫ちゃんでもワンちゃんでも
飼った事がある方は分かると思いますが
彼らには全く
「悪」という想念が無いんだと思います
しかもある程度知能がある。





あまりにも純粋な空間だけに支配されると
自分も純粋にならざるを得ないんだなぁと
思っています






私はそれはやっぱり「愛」と思います





神様は人間という生き物が
いずれ競争社会や支配欲にまみれ
文明の進歩に比例して
破壊や争いを招いていく事を
始めから知っていたんではないでしょうか




だから
人間と共生していけるペットという位置の
動物を作った





人間を救う為じゃないですか?





きっとこの世界に不必要な存在なんて
何一つなく
全てバランスよく過不足なく
配置されている





そんな気がするんですよね。





そしてそのバランスを故意に崩すのは
いつでも「人間である」と
私は思ってしまう訳です





だから私は人間が一番怖いと思います
だって人は人を食べないのに
争ってばかりいるじゃないですか?(笑)






ジュラシックワールドの映画の中の
台詞を思い出しました






人間が恐竜や生き物の遺伝子を操作して
全く新しい恐竜を作ってしまいました
その恐竜は
食べるためではなく
殺したいから殺す。
その光景を見た主人公が




「食べてない。食べないのに
こいつはただ殺してるだけだ」
みたいな台詞を言ったんですね
とても怖い台詞だった事を覚えています






またまた脱線してしまいました(笑)






人と人が争うのは
一体どんな意味があり
どんな結末を迎える為なんでしょうかね?





きっと遺伝子に組み込まれてるんですね
「支配」とか
「強くありたい」とか
「負けたくない」とか
「認められたい」とか
そんな遺伝子なのかなぁと思っています。






それでは今日は
この辺で。

愛ある時間






こんばんわ。雪ん娘です






22才になる猫ちゃんの介護を始めて
4日が過ぎました。





やっとお水だけはフラフラしながらも
自力で飲みに行く時もありますが
基本横になったきり状態です





ご飯はまだ全く食べません。
見かねて強制給餌をしていますが
量は本当に少ないしピューレ状のご飯も
食べてくれないので





猫ちゃん用にチキンからスープをとって
作ったり
手かえ品かえあげてみています。




それでもだいぶ病院に連れて行った日より
顔付きもはっきりしてきたし
呼吸も楽になってきているし
ぐったりしている訳ではないのが救いです





1日2回のお薬タイムが錠剤なので
最初は私も下手くそだし
猫ちゃんも初めてのお薬で
絶対飲まないぞ~~!なバトルでしたが




段々私も猫ちゃんも慣れてきたのか
お水無しでもゴックンと飲んでくれるように
なりました





最初は「え?錠剤??」と思いましたが
ご飯を食べない状態なので
ご飯に混ぜて粉薬という技が使えないので
錠剤で逆によかったのかな?と
思っています




私もウトウトして少し寝ては目が覚めて
猫ちゃんが息をしている事を確認して
安心してまたウトウトしては
少し寝て。な感じです




勿論心配だし怖い気持ちはあるけれども
それを表に出していては
猫ちゃんにも伝わってしまうので
「お薬飲んでえらいね~。
お水飲んでいい子だね~、えらいね~」って
声をかけてます





お薬タイムは猫ちゃんにとっては
しんどい時間だと思います
無理矢理口をこじ開けられて
咽の奥の方にポイっと
塊を放り込まれるんですから。





耳も聞こえず、目もほとんど見えず
嗅覚さえも奪われてるんですから
「うらちは三重苦やね~、
でも頑張ってるから偉いね~すごいね~」って
言ってます(笑)




夜中におしっこをしたくなると
一応ベットからヨロヨロと降りていきます
ベットから降りたところで力尽きるのか
床でおしっこをします




2回、間に合わなくて
私がうらちのおしっこを浴びましたが
「しまった(>_<)」って顔をします





本当に動作の一つ一つが健気で意地らしくて
「愛」しか存在を感じない生き物だなぁと
改めて尊敬しています





ただ会社の誰にも現状は話していません。
周りが認める事で
それが現実になってしまうのが嫌だからです




週末までお薬があるので
騙し騙し強制給餌もしながら
回復の状態を見て
病院にもう一度連れていって
経過を見てもらおうと思ってはいます




点滴も再度必要かもしれないし。





大変ではありません。
むしろ「愛」しか感じない時間を過ごしています





それでは今日はこの辺で。

ピュア






こんばんわ。雪ん娘です






昨日に続きブログに向かい合っています。
私がブログを書こうと思う時は
うまく言葉で説明は難しいですが
「何かが心から溢れそうになった時」でした





結構小難しい話しの時程
意外とスラスラと書けて
時間を置いて読み返したりすると
「ホントにあれ私が書いたのかしら?」
と思う事もしばしばでした





ここしばらくは全くブログに向き合えていなく
それは私の心の中が
猫ちゃんで埋まってたからです





書けないし、書きたくないし
言葉にする事でそれが本当になってしまったら
どうしようと怖くて。
どうしても無理でした





でも昨日。
心を表に出してあげた事で
こうしてまた向かい合えています
猫ちゃんの事も書いてあげようと
思えるようになりました






昨日の続きです
愛猫「うらち」の事。





結果。今日病院に連れて行きました
ゲージは可哀想だったので
うらちのお気に入りの毛布にくるんで
抱っこして連れて行きました





体重は1、7キロ。
元々子猫にみえる位小柄な子ですが
無さすぎてビックリでした





血液検査。
年齢による腎機能の低下。
でも年齢の割には悪くはないと言われました
他の諸々の数値は正常で




高齢だけどこの腎数値なら
抗生剤を出せると言われました





問題は水も飲まなくなってしまった事。
脱水状態ではあったのて
点滴をお願いしました。





大きな見える症状が
鼻水が止まらなくて苦しそうな事だったので
点鼻薬も処方されました





朝一で病院に行ってお昼過ぎに帰宅しました




今の様子は
鼻水はだいぶ少なくなってはきましたが
まだズルズルと苦しそう




お水、チュールは全く口に入れてくれません
食べてないからヨロヨロ、フラフラで
それでも昨日に比べるとだいぶ
反応が返ってくるようになりました





点滴を入れてもらったので
今日はいくぶん安心ですが
ご飯をちゃんと食べて貰いたい
これが明日からのテーマです




お水はシリンダーで口の横から入れてあげると
飲んでくれるようになりました。





病院のカルテにうらちの年齢が書かれてました
21才9ヶ月。




その書き方は私には希望になりました
何故なら母のところに昔いた猫ちゃんが
23才まで頑張っていたからです




明日は1日この子のお世話が出来るけど
明後日からは仕事が始まります
ちょこちょこ様子を見に帰ってこれるような
スケジュールが一応組めるので





今の仕事は絶対にやめないと
今の仕事でよかった!と思えています





この子は神様が私にくれたプレゼントと
私は思っています
神様は乗り越えられない試練は与えない
そうよく聞きますが




この子がいなかったら私は
間違いなく乗り越える事は出来なかったと
思うんですね
それは勿論今でもですw





そして私がこの子から学んでいる事は。





人間だろうが動物だろうが
心の繋がりには全く
「条件」と言うものは存在しないって事です




「条件」を勝手につくっているのは
人間なのです。




どこを見回しても
分厚い鎧を着こんでる人間がなんて
多いことか。




だけど今の社会では仕方のないことだと
思うんです




自分で自分の「心」を守る為。
それくらい人の心だって
充分動物に負けない位
本来はピュアな物であると私は





思っています





それでは今日は
この辺で。