経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

PTSDの深さ






こんばんわ。雪ん娘です







今日はメンタルの話し。






私に過去ついていた病名は
不眠症」「不安神経症」「PTSD
パニック障害」「統合失調症」などでした





どの病名が正解だったか?というのは
自分では全く分かりません






病状はかなり酷く
心因性失声症」「記憶障害」「よく鬱状態
パニック発作」などです





入退院も繰り返し措置入院もあり
本当に精神薬が手放せない日常でした





今は。





夜に睡眠薬を最近は増えてしまったけど
2錠飲むだけで、後はどの薬の
お世話にもなってはいません





ただ………
心の中に重たくのし掛かる真っ暗な「何か」が
また復活しているのが………
今一番の不安です





私は
「何か」を見失ってしまいました。






私の肩のあたりでポワポワ浮いてた
私を幸せな気持ちにさせてくれる
「ポワポワ君」の存在も今は見えなく





原因は私の
心の中の闇が大きくなっているからだと思います






逃げても逃げても逃げても
逃げきったと思っても
形のない「恐怖」はなかなか
消滅までは至ってくれません





もしかしたらそれが
本物の「PTSD」の正体なのでしょうか?





PTSDは何も
実際に起こった出来事、その部分だけではなく
そこから派生して生まれてしまった
心の闇の部分




それが手かえ品かえ
振り払っても振り払っても
追い掛けて纏わりついてくるそれが






PTSD」は一生と言われている
本質なのでしょうか?





一度壊れた心は
もう完全に元には戻らないのでしょうか?





きっと
心が疲れているんですね
その自覚はあります






私は
私以外の誰も「やろうとしなかった」から
その全てを支える為だけの理由で
「お金を稼ぐこと」に執着していました




だけど
そのお金を使えば使う程
「ありがとう」という言葉はただの口先だけの
言葉に聞こえ
回りの人間も人の姿に見えなくなっていきました
人ではない何か異質な物としか
私には見えていませんでした




だから
私1人が稼ぎ頭という環境から
離れようと決めて
最後はサラリーマンになる事を選びました
正しく生きていく為にです。





全く後悔はしていません。





いえ。わかってはいるんです
全ては、過去。
襲ってくるのは
イメージとしての「恐怖」です





私がその恐怖に打ち勝つしかないのです





ここにきてまた更に
あれもこれもと思い出す
一つ一つの記憶というイメージ。





どんな時間を私は過ごしていたんでしょうか?
いっそあの時殺されていた方がよかった





そうすればその後の派生は少なくとも
無かったのですから。





それでも私は
また明日になれば普通に仕事をこなし
また笑える日々も過ごしていくと思います





治ると希望はもっています





自分の中の闇が深い事は理解しています
だからこそ私は人には「愛をもって」
接したいと思っていてそこは
変わっていません。





でも今は………
私に「何か目に見えないけど暖かい物」を
くれていた
「ポワポワ君」が見えなくて




とても不安で




もしかしたら
「ポワポワ君もなにかしんどいのかなぁ」と
全くそこは分からないんですけど(笑)





「ポワポワ君」の正体さえわかっていないのです





人生は一進一退
なかなか予定どおりとか
思い通りとかには
ならないものですね





闇は光を飲み込む事が出来ますが
闇を消し去る事が出来るのは光。





光は「愛」だと思います





人々が愛や優しさ、思いやりで満ち溢れる
そんな社会や世の中に
なぜなっていかないんでしょう?





そうすれば「心の病気」なんて
そもそも生まれないと思うんですけどね






それでは今日は
この辺で。

リネージュ2⭐⭐18周年⭐⭐







こんばんわ。雪ん娘です






今日は久しぶりに「リネージュ2」の話題






何故かというと現在「18周年イベント」中なのです






とはいえ周年イベントはあまり………
盛り上がってはいません(笑)
個人的に
「あ~またあれから1年たったんだなぁ」と
思う程度www






リネージュ2はMMORPGというジャンルのパソコンゲームです
簡単に言えばFFオンラインのような感じの
ゲーム性。






キャラクターの向こうには「人」がいます
「人」が集まって日々
コツコツと色々遊ぶゲームです






私が始めたのは
リリースされて半年後位からなので…………
リネージュ2歴だけは意外と古くて
関わって18年目って事ですねw






私のゲーム歴は10代の頃からです
ドラクエ、FFは勿論のこと
ゼノギアスだのパラサイトイヴだの
チョコボトルネコのダンジョンだの





タクティクスもやったし
クロノ・トリガー
ダビスタシリーズ、ダビつくシリーズ
牧場物語系とかも




オーストラリアに長いこと住んでいたので
日本に帰るのは「ゲームを買って帰る」という
目的もありました
日本のアニメとゲームは本当に
優秀なのです(笑)





リネージュ2が始まってからも
モンハンにははまりました。
後はリズムゲーが優秀でしたね





ビートマニアキーボードマニア
初音ミクシリーズなどなどなど





ずーっと「何かしら」のゲームは
やっていましたが





結局、戻ってくるのは「リネージュ2」でした





何が面白いんですか?
正直、「ゲームとしての」面白さは
全くわかりません!





月額3000円から2000円になり今は無料。
ただしイベントやガチャ課金は
ある程度はマストです





まぁ、無料でやらせて貰ってるので
運営会社への「お布施」感覚ですね(笑)
一応「商品」ですし。






ところがこの商品。
最近とても「バグ」も多く
バランス調整もうまくいってなく
正直「商品」としてみた時に
「どうなの?」と思います





だけど。
しかし。





遊ばせるゲームシステムに多少の落ち度
不満はあっても





遊び方はそれぞれプレイヤーの自由なのと
「仲間が集まるところ」ではあるので
その部分に助けられてゲーム自体が動いている
っていうのが現状かな?と思います






遊んでくれるプレイヤーがいるから
「商品」も提供できる訳ですが
その商品(コンテンツ含め)を
今回はお金を払って遊ぶぞーというユーザーが
どの程度いるかは……………





不明です(笑)





だってレイドも100人集めても
狩れなくなってるし………
周年イベントのOEイベントは
かなりめんどうくさいし(笑)





もう少し運営側でテストプレイして
きちんと「商品」という認識で
アプデ、公開して欲しいなぁと思います





とは言えですね
長年遊ばしてもらってお世話にもなったし
もうしばらくは遊ばせても貰いたいので
これからも頑張って下さいね!と





エールを送っておこうと思います





なんにせよ
この「リネージュ2」というゲームが
無かったら
縁を持てなかったであろう人達とも
縁を持てたという意味では
「ありがとう」って感謝はあるんですよ



なので。




改めて。





「18周年、おめでとうございます!」






それでは今日はこの辺で。

愛の反対は無関心






こんばんわ。雪ん娘です






今日はマザーテレサの有名な言葉から。
「愛の反対は無関心である」な話し。






皆さんには「嫌いな人」はいますか?
いたとしたら…………
嫌いな人にはどう接していますか?





嫌いな人とわざわざ約束とかして
会いたいですか?
嫌いな人にわざわざ自分から近寄って
交流を深めたいですか?






私はどうかというと。






自分からは決して近寄らないし
たいして興味もないし
普段は「嫌い」とかも全く思わないけど………






向こうから近寄ってきたら
「嫌い」と思い出す程度。です(笑)






言ってしまえば「関心、興味」すらないのです。
だって嫌いなんですからwww






お互い近寄らなければ平和な毎日。
嫌な気分にもならず争いも招かず日々平和。






でも中にはわざわざ
近寄ってくる人っていますよね?





それはどんな心理なんでしょうか?






勿論。
「好き」ならば。





それは人でも物でも
人は関心を寄せる物です。
興味も出てくる。





なので私はこう思いました





嫌いなのにも関わらず
わざわざ近寄ってきて
嫌がらせや暴言ぽい事を吐いていく人は






「好き」と「嫌い」の境目が曖昧な方が
多いんではないでしょうか?






自分の気分次第で
「好き」とか「嫌い」がコロコロ変わるタイプ
そういう人はどちらにも行けるんです






自分の気分次第で
今日は「好き」と思っても
明日は「嫌い」になって、また時間がたつと
「やっぱり好きだ」と変わったり。






まぁ、そんなだから信用にも値しないし
「またですか?」となるのは当然で。







前にもこれは書きましたが
わざわざ「嫌い」な人を心に住まわせるとか
意味が無い事だし時間の無駄だと思います






基本的に「嫌い」と自分の中で認識された人は
「普段は全く思い出しもしない人」に
分類されているのではないかと思うのですね





そこには愛もへったくれもない
ただただ「無関心」な状態なのです






もしかしたら
「嫌い」が憎しみや憎悪に変わって
その気持ちが執着に結びつく時も
あるかもしれないですが





その執着はご本人がとてもしんどいと思います
その思いこそが苦しみになる。






貴方にその思いがあるとしたら。
どうしたいですか?





思いをとげたい?
やり直したり逆に仲良くなりたい?
交流を持ちたい?
ただただ憎しみあう争いをしたい?





どうしたいですか?





人の心というものは
ほんの少しでも「愛」があれば
そこには思いやりだとか
気遣いだとか
興味、関心、相手を分かろうという気持ちやら
信じてみようという前向きな気持ちやら





私の誤解だったのかな?
もしかしたら実はいい人なのかな?とか
そういう





いくらでもスタートに戻って
やり直してみよう。っていう
チャンスは生まれる物なのです






だけど他人に対して。
「無関心」になってしまったら
もうそこからは何も
生まれる物はないのです





「知人」でさえも無くなってしまう。
要はそういう事です。





まだ全くの見知らぬ他人様への方が
愛はありますよね。
通りすがりの物を落としたお爺ちゃんに
物を拾ってあげたり
「大丈夫ですか?」と声をかけてあげたり。





「無関心である」と言うことは。







貴方が通りすがった事さえも気がつかない。
そういう状態であると言うことです。






「愛」なんてものはこれっぽっちも
生まれる要素なんてあるわけがないですよね(笑)






「愛」から一番遠くに離れているもの。
それが「無関心」である。
と言えるのではないかと思います






それでは今日は
この辺で。

未来へ·····






こんばんわ。雪ん娘です







物凄く密度の濃い時間を過ごしていました






まずは暫くの間の「同居人」が出来た事。
多分半年位…………。
というか半年位で勘弁して欲しいw






それから国家試験。
ところが歯が痛くて勉強どころではなくなり
散々な目に合い………
国家試験は無事終わりました(笑)





結果はまだ出てないけど
自己採点で学科のみ合格してるっぽいので
次回は学科免除で望めそうです………
後一問正解していれば合格だったのに
というラインギリギリで
ちょっと悔やんでいますw






そして
私は。





ここにきて
「私がここ(今住んでいるところ)に来た意味」というのを
考えさせられています






右も左もわからない土地に
引っ越してきて早くも1年が立ちます






出来るだけ「甘えないように」
自分の力でやるだけはやってみようと
本当に
手探りな日々でした





私が、この土地に
受け入れられるのか
売れ入れられないのか
わからなくて





「私の居場所はないのかもしれない」と
弱気になる事も多々ありました






そしてある日
「なんか気になる」出会いがありました





その方は、75才の女性の方なんですが
全然見た目75才に見えなくて
可愛らしくて、天使様みたいな優しい目をしていて





その方は「お客様」なんですけど
仕事の話しは、そっちのけで
私はその方の不思議な心の清らかさに
一目で好意をもってしまいました




彼女は
「がん」の告知を受けていて
おそらく「転移がん」です
後、何年、生きられるのか………




何もかも自分の運命を受け入れたから
こんなにも清らかなんだろうか?と
私も
目にみえないはずの物が見えていた時の話や
過去世や来世を信じている話なんかも
しました。





そういう目にみえない話しだけではなくて
彼女は音楽の指導をする立場の方で
自らはバイオリンとピアノをやる方でした
私は
「いつか演奏を効かせて下さいね」と言っていて
彼女は
「まだ肺を半分とって痛みがあるので
一年後位かなぁ」と笑って答えてくれました






そして
2回目の約束をした日。
私は彼女に会うのが楽しみで
仕事中のアポでしたが
何も仕事の物は持たず
おしゃべりだけをしよう!とお邪魔しました





「どうぞー」と通された部屋には
ピアノとたくさんの楽譜とバイオリン。
たくさんの音楽の本。
小さな机と向かい合わせで椅子が2つ。




私は
彼女の話しに耳を傾けました
ぽわ~んとした雰囲気や
頼りなげな話し方なんかで
「絶対お嬢様だったんだろうなぁ」と
思いきや




かなり悲惨な過去をお持ちで…………




だけどかなり
私と「同じ人だ」と
思ったんです




共通事項が多すぎて。




そして。
彼女は「未来の私だ」と思いました





彼女が過去の色々な経験してきた事を
自分で浄化して
受け入れて





それだけではなくて
彼女はもう1段階上の事をやったんです





だからこんなに
全てを許して清らかなんだ……と思いました。
そして今彼女がやりたいことは
「バイオリンの演奏をしたい」
そう、言っていました





彼女がやったもう一段階上の事は
生涯のパートナーを見つける事。




「もう結婚は懲り懲りなんです~」と
言っていた彼女が
どう生涯のパートナーを選んだのか。





そこからの話が彼女らしくて
あんまり詳しくはその話しは言いたくないけど
でも、だけど私は
彼女を通して「希望」を貰ったんです





私は
「仕事とプライベートは別」と
分けるタイプなのですが……





「また来てもいいですか?」と言っている私がいました。
もっと学ぶ事があると思ったんです。その方から。





そして
ふと回りを見渡せば
たくさんの繋がりが
すでにある。と
私はまた「何か」を、受け入れたんですね。





きっと私が
この土地に来た意味も
この土地にいる意味も
ちゃんとあって。






そして
最終的に私がやってみたいこと。
やりたいと思っていること。
やらなければいけないのかもしれない。と
漠然と思い続けていたこと。





「出来るわけない」と思っていたので
誰にも言っていないんですが………
それは、1人では出来ない事ですし。





「出来るのかな?もしかしたらこの土地で」って
本当になんとなくなんですけどね
思う事が出来たんですよね





「希望」は未来に繋がり
少しの未来はもっと遠くの未来に繋がり
人が生きていた証は
きっと、どこかで、誰かの心の中に生きて
またその誰かが、未来に繋げる





それがきっと
生まれてきた意味でもあり
生きていた証でもあり
自己の存在意義の肯定でもあり
自信の源でもあり





だからこそ
そこには争いもなく
ただただ純粋な「愛」しか
やはり残らなくなるのではないでしょうか?






なんの根拠もないんです。
ただただ漠然と
1つずつパズルが埋まっていくような
そんな感覚です







たいぶまとまりが無いですが
それでは今日は




この辺で。

パンドラの箱の最後に残る物は





こんばんわ。雪ん娘です







今日は私の中の「パンドラの箱」を
もし開けていなかったら。な話しから。






その前に「パンドラの箱」は
どんな例えに使うのが正しいんでしょうか?




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


パンドラの箱とは..........】

通常触れてはいけないもの、つまりアンタッチャブルなものやタブーといったものを指します。
誰もがそれに触れることを恐れている。

しかし、そこに触れる、もしくはその扉を開けるという行為は、時に大きな新展開を巻き起こします。

例えば、江戸時代に鎖国していた日本に黒船がやって来て開国を迫った。 この時パンドラの箱が開いた日本は大混乱に陥った。
その後、紆余曲折あったのち明治維新が起きました。

混乱の後に最後に残ったものはなんだったでしょう。
そこにはきっと


「希望」があったんではないでしょうか。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆






私の中の「パンドラの箱」は



もう思い出したくない物
忘れてしまいたい物
もう見たくない物
無かった事にしていまいたかった物





多分そんな感じの「記憶」でした





ある数年間プラスαの記憶が
私には無かったという話しは何度かここでも
していますが





思い出した時もそれは突然で
どうして私の感情が突然
何かに背中を押されたように動いたのか。
未だに「恥ずかしい~(*/□\*)」って
思ってしまいますw





私の中の「パンドラの箱」は
私にとっての災いを引き起こす物でした





内に籠って何も心を動かさず
ただ淡々と日々が過ぎるのを大人しく
待っていれば
何事も起きず
いつかは必ず死ねるのです
それでよかった……………。





私にとって他人、特に男性は
正直「みんな同じ」でした
多少、外見が違って性格が違ったりするだけで
根本は同じ。




過去に私が言葉で吐いた名言ってのがありまして
「男の人はみんなどんぐりに見える」(笑)





だからその場が楽しくて
私の都合がいい時に遊んでくれて
私に「害」が無くて
私が「嫌」でなければ
きっと私は





今までと全く変わらない私で
たいして心も動かないまま
人付き合いもして
結局は気に入ってるかいないか。だけで。
そんな自分のままだったと思います





もし私の中の「パンドラの箱」が
開かなかったらですが……………。
きっと今でも。
そういう変わらない私がいたと思います





だけど「パンドラの箱」は開き




私は
私の身の上におこった思い出したくない
受け入れたくない、見たくなかった過去を
受け入れてしまいました





受け入れた事によって
私は自分自身に向かい合わない訳には
いかなくなって
だいぶ考え方も変わりました





パンドラの箱」の底に眠っていたのは



本当に。



「愛」とそして「希望」だったんです





そして現実も
どんどん変化していきました






核になっている物は「信頼」でした





私に何かあれば絶対に助けてくれる人がいる
私にマイナスになることは絶対にしない人がいる





そういうなんか変な根拠のない自信が
私には不思議ですがありました。





だから私は
「思うように自分でやってみよう」って
どんどん行動に移すことが出来た





何もいつも側でベタベタとして
手取り足取り世話をやいて
よしよしと甘やかしてくれる事が
本当の優しさでは無いと私は学んだんです





だから私も
なにか困った事がおこった時には
絶対に助けると思います





それを別に本人に直接
伝えようとは思ってませんが
唯一「どんぐり」に見えなかった人物です(笑)




何かがおこっても
絶対にそれは乗り越えられる事と思えば。



それは1人でではないよという
根拠なんてなくても自信があれば。




それは間違いなく未来への「希望」になります





難しい話しですねw





ただ1つだけ
現実になっている事は




私は今
新しい環境の中で
「私はこうやりたいの。」
「私はこう変えていきたいの。」
「誰もやらなくても私は1人でもやります」と




社会の中で言えているんですね……。




そこにはもう
「社会」や「世間」を諦めていた
「私自身」はいないんです





物凄く大きな変化です。





パンドラの箱」に私が色々な物を
閉じ込めていた時
私は愛も希望も感情も持たない
ただの「お人形さん」でした





パンドラの箱」が開いた後は
確かに災いがたくさん出てきて
恨み、悪意、執着、失望、嫌悪、そんなものが
わんさかと出てきました




それらをもう見ないふりはやめて
きちんと受け入れて自分の中身に入れて
きちんと浄化が出来たら





最後に残るのは
純粋な愛と希望しかやっぱり残らないんですね





きっとパンドラの箱の物語は
そういう事を言っているのだと思います






少々長くなりましたので





それでは今日は
この辺で(笑)