経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

本物と偽物






こんばんわ。雪ん娘です






だいぶ間が空いてしまいました。
自分の書いたブログに来る事が出来なかった
というのが本音です






あの子がいない毎日にただ慣れてきているだけで
心の中は何一つ変わっていない
日常が続いています





あの子とは
ケンカ別れをした訳でもないのに
嫌いで別れたとか
もう面倒見れないから他所にやったとか
そういう訳でもないのに





もう2度と会うことは出来ないんですよね
むしろ
大好きで大好きで会いたいのに
「後何日我慢したらまた会える」とか
そんな希望も何もない状態で





そんな感情をどう乗り越えればよいのか
分からないでいます





だからこそ
普通に生活をしています
自分で自分にきちんと向き合っていない
忙しい日々を送っています





正直
あの子がいない日常から
私の中の「愛」という物が
消えてしまいました





だからと言って
その変わりは
他の何も代替えはないのです





たかが猫ちゃんですか?
確かに私も
「猫」という生き物としてみたら
お外を歩いている猫ちゃんを見ても
「あ~猫だ~」としか見えません




でもそれは「人間」に対しても同じです




なので私にとってあの子は
猫でも人でもなく
「うらち」という名前の個性を持った
私にとても近しい存在の個体でした




そして誰もが
そういう存在の近しい「個体」が
側にいる筈です




それを「縁」というんだと思います




とっかえひっかえ
常に変わりが控えている訳ではない。





「縁」というのは
きちんと理由があって結ばれているのだと
思います




逆かな....
理由があるから「縁」として
近しくなっていくのかな?




そこは見えない部分なので分かりませんが。





なので私にとってのあの子は
確かに何かとても近しい魂の子だったのだと
感じざるを得ません





上手く言葉で説明するのは難しいですね





だけどあの子が死んでしまって尚
あの子から学んでいる事は
「縁」があったとして
その「縁」を自分から切るような真似をしては
いけない。という事です





逆に考えると
縁を切るような事をする相手は
本当に縁があるんですか?と思います





勿論、縁の中にも
いい縁、悪い縁とあるでしょう
見極めるのは自分自身ですが




私は
いい縁の中には必ず
相手を思いやる「愛」は隠れていると思います





私も
あの子の事はきちんと
現実として受け入れなければいけない
わかってはいるんですが.....,





生きていたあの子に執着があるという今です
あの子に会いたいよ。というのは
あきらかに私のエゴでしかないのです





命という物は輝いている
生きているという事はきっと奇跡です
星の数程の命が生まれ死んでいく中で
縁ある命と出会う事自体奇跡と思います





でも見極められないんですよ
終わって始めて気付く事の方が多いんです
たくさんのなんちゃってな
偽物の縁の方が断然多いんです





本物と偽物。
わかんないですよね(笑)





わかんないからきっと
人は出会いと別れを繰り返したり
するんでしょうね?





そしてそれは全て
「学ぶ為」だと思うのですよ







久しぶりに自分の心の中を書きました。







それでは今日はこの辺で。