経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

10年前と10年後

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こんばんわ。雪ん娘です







絶賛「自分の為に」活動中です(笑)






だけどやっぱり性に合わないww






私はやっぱり「誰か」の
サポーターをやっているのが
私の性に合っているのだと思います





誰もが「主役」をやりたい訳ではないのです






ただ自分の人生の主役は
全ての人がそうですが「自分」です





それは間違いは、ない。





だけど、「私が、私が」っていう
そういう主役ではなくて
サポートをする事で私がサポートする人を
「主役にしてあげたい」と
そこに喜びを感じるタイプって事です





だけど人選を間違えてしまうと
とんでもない事になりますね(笑)
そして、利用もされてしまう。






そうやって利用されてきた事実も
きっとたくさんあるんでしょう。





昔、私は「神輿」だと言われた事があります
「神輿」ってなんですか?
その言葉の裏の意味が今やっと分かりましたw





「利用しますよ」と
実はちゃんと宣言されていたんですね。






過去記事に
アルジャーノンに花束を」という
小説の話を書きましたが
ちょっと例えられる部分があります。






Wikipediaからの引用

【主人公・チャーリイ・ゴードン自身の視点による一人称で書かれており、主に「経過報告」として綴られ、最初の頃は簡単な言葉や単純な視点でのみ、彼の周囲が描かれている。主人公の知能の変化により、文章のスタイルも変化していく。】





主人公のチャーリーは最初「白痴」でした
知能が低い時には
彼の周りにいた人達は
チャーリーは「ともだち」と思っていました





だけど知能があがっていくに従って
チャーリーは「真実」に気付いてしまうんです





「ともだち」だと思っていたのは間違いだった。
彼らは自分をあざけ笑っていただけだと。





自分が今まで「しっていたせかい」とは
全く違う世界がチャーリーには
見えてきたのです





そして心は変化していく。





だけどこれは小説なので
また知能は後退していくんですが………。
そこの話しは置いておいて。





ある意味
「人間の成長」にも言える事だと思います






要は



「今までそれが真実だと思っていた事が
実は間違いだった」と気付く時があり



その逆もあって



「今までそうは思ってなかったけど
実はそれが正解だったんだね」と
気付く時もある




って感じかな?って思います





そしてそれはどこに繋がるかというと
「相応」って物に繋がると思います





私の使う「相応」は
決して3次元的な身分とか階級とかの
「相応」ではなくて
見えない部分の「相応」です
心の中にある物ですね





心が動けば必ず
自分の行動も変わってくる筈なのです





「もういい。なんにもやりたくない。
もう、どうなってもいい」って
そう心が動けば





そのように行動してしまうでしょうし
その行動があるから現実もそう変わる





「自分はこうしたい、こうなりたい。
こうやってみたい」
そう心が動いたら






行動した後、なにかしらの結果が出て
現実がまた変わっていくかもしれない。





だから
現実は自分の心の鏡だと私は思うんです





その大事な場所が
病気になってしまったら。
怖いですね。




勿論、肉体の病気もとても怖いです





大切な物を1人1人が
平等に。
誰もが。
たくさん持っているって事です





身体の病気には
不可抗力はあると思います





だけど心の病気は
ある程度、防ぐ事は出来ると思っています






「相応」でなくなればいいんです。
要は、考え方を変える。
どうしてもしんどくて、辛くて、嫌なら
考え方を変える=心を変えるって事です




それならば、なんか、
自分で出来そうじゃないですか?





そして怖いところは………………
逆もあるってところです。





人は1人で生きている訳ではないので
自分が「友達候補」「恋人候補」「仲間候補」
になってしまう時もあります





その際相手は
「相応」にしたい訳ですから
足をひっぱってきます





それは
「愛している」という言葉かもしれない
「金銭の誘惑」かもしれない
「名誉というエサ」かもしれない




例えば



スタートラインは同じだとしても



1人は他人を蹴落として
自分があがったような気になってしまう人。




1人は自分が努力して上にあがろうという人。




スタートラインは同じでも
10年後、かならず差は開いています




10年後、2人の側にいる人は
違っている筈です





それが10年後の「相応」なイメージです。
10年前は一緒にスタートした人が
相応だった筈なのに、です





そういうことの繰り返しかなぁって
思うんですよね、人生は。





結局は
「自分はどうしたいですか?」っていう
話しになってしまうんですけどね(笑)






なんど違う視点から
このブログを書いても
同じ結論の話しを何度も書いてしまうので





自己の本当の意味での成長を望むのであれば
「自分」って言うのは
かかせないのかな?って思ってしまうんですよ






そういえば
私は「自己主張」というのに
苦手意識をものすごーく持っていましたが
最近は………だいぶ………主張出来るように
なってきた…………ような気がします(笑)






それでは今日は
この辺でw