経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

砂の城






こんばんわ。雪ん娘です






久しぶりにゆっくりとした休日を過ごして
ものすごーく落ち着いて愛猫とモフモフして
過ごした1日でした
(この記事は土曜日に書き始めました)





そしてモフモフ中に考えた事。





猫っていう生き物は身体は小さいけど
実は充分な殺傷能力を持っているんですよね





この子が本気で私に噛みつけば
充分私のお肉は削られるし
この子が本気で爪を立てれば
充分私のお肌は血まみれになるんだよねぇ、と




実は私は猛獣と暮らしているんだな。と





そんな事をふと思い。





また逆に。






猫ちゃんの首もとに置いた私の両手に
少し力を加えるだけで
私は簡単にこの子を殺せてしまう





だけど





猫ちゃんは
そんな事は微塵も思わず
私に全身をゆだね安心してゴロゴロと
自分より身体の大きな人間の私に
うざい位くっついてスヤスヤと
寝息をたてているんです





私も
この子が私に本気で牙を立てるとか
本気で爪を立てるとか
思った事もなくて。




結構この子の事はからかうので
「あ、今怒ってる怒ってる」って
分かるんですけど
全く痛くない猫パンチをしてくるだけです





それは
絶対にゆるがない積み重ねてきた
信頼関係だと思うんですね





特に動物は
信頼している相手に対する態度は
顕著に表してくれます





なので私はいつもこれを書きますが
人と動物の間にも成立するこの信頼関係は
人と人との間では
何故なかなか成立しないんでしょうか?
と思う訳です





人間同志の対立関係は成立しやすいですが
信頼関係って薄くて脆いなぁって思うんですよね





例えるなら砂の上に建てたお城です





とても脆くて少しでもバランスが崩れれば
崩壊してしまう物。





いずれ崩壊する事が分かっているから
そこまでの信頼関係を築かないのか。





信頼関係が築けないから
その結果崩壊してしまうのか。





果たしてどちらが先なんでしょうね?






きっと人間は「受け身体質」なんだと思います
猫ちゃんはきっと
私が猫ちゃんを信頼しているか否かなんて
そんな事は考えてない筈です





私が猫ちゃんにしてきた対応の
積み重ねを通して
猫ちゃん自身が決めているというか
私が例え猫ちゃんを信頼していなかったとしても
この子の態度は未来永劫変わらないと思います





あくまでも自分発信なんですね





そう考えると人はとても脆いです。
とても柔らかくて脆くて危なっかしいのに
何故争いは起きるんでしょうか?





争いごとに自ら参加している間は
それは相応だということに
早く気づいて欲しいなと思います





要は「同じ穴のムジナ」って事です






それでは今日は
この辺で。