経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

「離れていく」と「手放す」の違いについて

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こんばんわ。雪ん娘です




今日は「手放す事」と「離れていく事」の違い


言葉は似てますが
私の中では全く正反対の物なので
その辺の事を書いてみたいと思います





過去を振り返ってみても人生は
出会いと別れの繰り返しだと思います



特に私は
長い間海外に住んだという事もあって
期間限定のお付き合いという物も
とても多かった


転勤族の方達なんかもきっと常に出会いと別れの
繰り返しという日常を
身近に感じてたと思います



そして
その出会いと別れの繰り返しの中から
人との「縁」というものを
考えざるを得ないような出来事に
たくさんあってきたのではないかな?って
思うんですね



自然と時間の経過とともに
疎遠になってしまう関係は
ただ単にそういう縁だったと言う事ですが




私の中では
「離れていく」というのは
文字通り
「離れる」という事で
戻る事はもう絶対にない事です



でも逆に
「手放す」っていうのは
私の中では
「受け入れる」と
同義語で。



なので
「離れていく」と「手放す」は
私の中では正反対の思いという事になるのですね



手放す事がどうして受け入れると同義語に
なるんだろう?って疑問を持たれるかも
しれないですが



全てそのままで
何も変えることなく
そのままで
ありのままで
いいんだよって
全信頼が対象者に向いた時に


「手放す」事が出来るから


だから
それは私にとっては
「受け入れる」と同義語になるって事で。
だから
「自由にすればいいと思うよ」って
前回のブログに書いた心に繋がる訳です



そこには
執着も依存も全くないのです



でも
そんなに簡単には
人は人を
そのままでいいんだよって
受け入れる事は出来ないと思うんですね
とても難しい事です



そういう風に思えるまでには
時間もかかる



その間、執着や依存やエゴが邪魔をして
不安や恐れから
求めるばかりになってしまうから
結果「離れていく」「離れられてしまう」という
結末を迎えてしまう訳です




そして私は
「手放した」あとの
離れていかない関係を

本当の意味で
「縁がある人」って事だと
思っています



え~それじゃなんか自分だけ
しんどそうだし損じゃない?って
思うかもしれないですが


大丈夫ですよ


本当の意味で縁がある人とは

必ず

「お互いに」という言葉がつきますから


求め合う関係ではなく
見えない何かを
与え合う関係になってる筈ですから
不安になる必要も
心配をする必要も
自然になくなっていると思います


生まれるのは
穏やかな気持ちだったり
安心感となっていくと思います



ちょっと言葉で説明するのは難しいですね



いつかまた
もう少し詳しく掘り下げて
私の表現力があがった時に
書いてみたいと思います(笑)





それでは今日はこの辺で