経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

笑ったり泣いたり

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こんばんわ。雪ん娘です






今日は人の感情のお話し。





実は私は親の前でも
心から笑った事のない人間でした




もしかしたら子供の頃はよく
笑ってたのかもしれないけど
いつしか笑わない
物分かりの良い子で
いるようになっていました




友達なんかといるときには
人並みに笑ってたと思うんですが




ある日を境に
段々笑わなくなりました




笑わなくなる事と比例して
泣く事もなくなってきました
泣く事もなくなってきた事と比例して
怒る事もやめてしまいました




ただ淡々と1日1日が
無事に過ぎてくれればいいと



「何も起こらなければいい」と



そう思う毎日でした




昨日今日で
まるで人が変わったみたいに
そうなるわけではなくて



段々と少しずつ
そうなっていったのではないかと思います




でもまた
ある日を境に
私は泣いたり、笑ったり
忙しくなりました




どうしてだろう?
私が1番戸惑いました




1番最初に戸惑ったのは
「もう出る涙なんて無い」って
自信満々に思ってたのに
何故かスイッチが入ったみたいに
泣く事が出来て



なんで泣いたのかもよく分からないけど
私の中の何かが
溶けていくのが分かりました




「涙」には浄化作用があるっていいます
それはあながち
間違いではないと思いました




今の私は
なんだかコロコロコロコロと
笑っています



そして怒ります



感情が元に戻って私は
私の正しいと思える生活が
送れていると思います




心の中が豊かになっている事を感じます




ただそれが100%かと言われると
そうではなくて
時折、気難しい私が顔を出します
人を避ける時もあります




だけどそれは長く続く訳ではなくて
一過性の物なので
私の性格の一部なんだろうと
受け入れられるようになりました




私は決して能力の高い人間な方ではないので
きっとこれが等身大の自分なんだろうと
背伸びせずに息が出来るように
なりました




いきなりは変わりません
本当に少しずつなんですが
自分を受け入れられるようになってきました




私は私を1番嫌いでした




私は汚いから。




そういい続けられた時もありました
それは洗脳だったと思います




何かの罰のように与えられる洗脳。




私は誰よりも自分に自信がなく
仕事をしている時だけは
プライベートの自分でいなくて済んだ



だから
当時の仕事であった
「お芝居をする仕事」は
私の救いでした



だって芝居の中では
私は全く違う私になれる場所だったので。




そしてそういう私を
私は嫌いだったんだなって
思っています




数年前から
私は馬鹿だのちょんだの
どんくさいだの言われるようになって



私はそういうイメージでは
無い筈なんだけど??って
クエスチョンマークでしたが



当たってましたね(笑)




たくさんの鎧を身に纏ってたのは
私自身でした



どちらがより傷付かなく
良い人生を歩めるんでしょうかね?



鎧をたくさん纏ってる方が
防御力が高そうだから傷付かないのでは?
って思いますが



私はコロコロ笑っている自分の方が
好きなので
その自分でいたいから
素の自分でいても傷付かないように
強くならないと!って思ったんです




もし「何かを変えたい」って思うのであれば



やっぱり他人ではなく
自分で自分を好きになることが先で



「私はこれでいいんだ」って
受け入れてあげる事が先で



その先にまた
「何か」が
待っているのではないかと思います




傷付きたくないから心を閉じるのでは
なくて
逆だったんですね



心を開いてもそのままの自分を
受け入れてくれる人といる事を
優先すべきだと



今更ですが気付きました




でも気を付けなければならない事は
「誰にでも」あけっぴろげに
心を開いてはいけないということです




そういう事を学ぶ為に
経験はあり
人は
何度も傷付くのかもしれないですね





それでは今日は
この辺で。