経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

愛ある時間






こんばんわ。雪ん娘です






22才になる猫ちゃんの介護を始めて
4日が過ぎました。





やっとお水だけはフラフラしながらも
自力で飲みに行く時もありますが
基本横になったきり状態です





ご飯はまだ全く食べません。
見かねて強制給餌をしていますが
量は本当に少ないしピューレ状のご飯も
食べてくれないので





猫ちゃん用にチキンからスープをとって
作ったり
手かえ品かえあげてみています。




それでもだいぶ病院に連れて行った日より
顔付きもはっきりしてきたし
呼吸も楽になってきているし
ぐったりしている訳ではないのが救いです





1日2回のお薬タイムが錠剤なので
最初は私も下手くそだし
猫ちゃんも初めてのお薬で
絶対飲まないぞ~~!なバトルでしたが




段々私も猫ちゃんも慣れてきたのか
お水無しでもゴックンと飲んでくれるように
なりました





最初は「え?錠剤??」と思いましたが
ご飯を食べない状態なので
ご飯に混ぜて粉薬という技が使えないので
錠剤で逆によかったのかな?と
思っています




私もウトウトして少し寝ては目が覚めて
猫ちゃんが息をしている事を確認して
安心してまたウトウトしては
少し寝て。な感じです




勿論心配だし怖い気持ちはあるけれども
それを表に出していては
猫ちゃんにも伝わってしまうので
「お薬飲んでえらいね~。
お水飲んでいい子だね~、えらいね~」って
声をかけてます





お薬タイムは猫ちゃんにとっては
しんどい時間だと思います
無理矢理口をこじ開けられて
咽の奥の方にポイっと
塊を放り込まれるんですから。





耳も聞こえず、目もほとんど見えず
嗅覚さえも奪われてるんですから
「うらちは三重苦やね~、
でも頑張ってるから偉いね~すごいね~」って
言ってます(笑)




夜中におしっこをしたくなると
一応ベットからヨロヨロと降りていきます
ベットから降りたところで力尽きるのか
床でおしっこをします




2回、間に合わなくて
私がうらちのおしっこを浴びましたが
「しまった(>_<)」って顔をします





本当に動作の一つ一つが健気で意地らしくて
「愛」しか存在を感じない生き物だなぁと
改めて尊敬しています





ただ会社の誰にも現状は話していません。
周りが認める事で
それが現実になってしまうのが嫌だからです




週末までお薬があるので
騙し騙し強制給餌もしながら
回復の状態を見て
病院にもう一度連れていって
経過を見てもらおうと思ってはいます




点滴も再度必要かもしれないし。





大変ではありません。
むしろ「愛」しか感じない時間を過ごしています





それでは今日はこの辺で。

砂の城






こんばんわ。雪ん娘です






久しぶりにゆっくりとした休日を過ごして
ものすごーく落ち着いて愛猫とモフモフして
過ごした1日でした
(この記事は土曜日に書き始めました)





そしてモフモフ中に考えた事。





猫っていう生き物は身体は小さいけど
実は充分な殺傷能力を持っているんですよね





この子が本気で私に噛みつけば
充分私のお肉は削られるし
この子が本気で爪を立てれば
充分私のお肌は血まみれになるんだよねぇ、と




実は私は猛獣と暮らしているんだな。と





そんな事をふと思い。





また逆に。






猫ちゃんの首もとに置いた私の両手に
少し力を加えるだけで
私は簡単にこの子を殺せてしまう





だけど





猫ちゃんは
そんな事は微塵も思わず
私に全身をゆだね安心してゴロゴロと
自分より身体の大きな人間の私に
うざい位くっついてスヤスヤと
寝息をたてているんです





私も
この子が私に本気で牙を立てるとか
本気で爪を立てるとか
思った事もなくて。




結構この子の事はからかうので
「あ、今怒ってる怒ってる」って
分かるんですけど
全く痛くない猫パンチをしてくるだけです





それは
絶対にゆるがない積み重ねてきた
信頼関係だと思うんですね





特に動物は
信頼している相手に対する態度は
顕著に表してくれます





なので私はいつもこれを書きますが
人と動物の間にも成立するこの信頼関係は
人と人との間では
何故なかなか成立しないんでしょうか?
と思う訳です





人間同志の対立関係は成立しやすいですが
信頼関係って薄くて脆いなぁって思うんですよね





例えるなら砂の上に建てたお城です





とても脆くて少しでもバランスが崩れれば
崩壊してしまう物。





いずれ崩壊する事が分かっているから
そこまでの信頼関係を築かないのか。





信頼関係が築けないから
その結果崩壊してしまうのか。





果たしてどちらが先なんでしょうね?






きっと人間は「受け身体質」なんだと思います
猫ちゃんはきっと
私が猫ちゃんを信頼しているか否かなんて
そんな事は考えてない筈です





私が猫ちゃんにしてきた対応の
積み重ねを通して
猫ちゃん自身が決めているというか
私が例え猫ちゃんを信頼していなかったとしても
この子の態度は未来永劫変わらないと思います





あくまでも自分発信なんですね





そう考えると人はとても脆いです。
とても柔らかくて脆くて危なっかしいのに
何故争いは起きるんでしょうか?





争いごとに自ら参加している間は
それは相応だということに
早く気づいて欲しいなと思います





要は「同じ穴のムジナ」って事です






それでは今日は
この辺で。

存在価値と生きる意味







こんばんわ。雪ん娘です






忙しい日々が続いています。
一体いつまで忙しいんでしょうか?
ずっと?
それは本当に嫌なんですけど(笑)





人間というのは我が儘な生き物だと思います
社会に出ていなければいないで
それはそれで不安になるし





仕事が忙しければ
何のために毎日生きているんだろう?と
それはそれで意味を見いだせなくなったり
........しませんか?(笑)





別に私1人世の中からいなくなったとて
何も誰も困る事はないと思うんですよね
特に仕事が生き甲斐です!と
私は生きるタイプでもないものですからw





私はあまり自分にもお金をかけないタイプで
物欲もほとんどありませんw
最近は食欲も無くて
1日1食で
同じものばかり食べています。





一時期は人の輪の中に入ってみようと
トライしてみましたが
駄目なんですよね.....
どうしても自分アピールが強い人がいる
集団に入ると
本当にごめんなさい!もう許して下さい~に
なっちゃうんですね





私は職場でもほとんどしゃべらずに
黙々と仕事をするタイプなんですが
自分アピールが上手な人には
本当に感心してしまいます





かといって
おしゃべりが嫌いな訳ではありません
接客も得意な方です
なんでですかね?
仕事だからなんですかね?





多分ですけど
自己顕示欲が強い人は
あまり孤独を好まないと思います




何故なら自己顕示欲を満たす為には
ギャラリーが必須だからです
アピール出来る場所として
集団を選んでいるだけと思います




自己顕示欲が無い人は
一匹狼でも気にしないで黙々と勝手に
1人でなんかしてますよね




私はそちら側を支持したいタイプです




自己顕示欲の塊の人。
どこにでも1人や2人はいますよね
なので私は
集団が駄目なんだろうなぁと思います





原因は
私自身に「スルーする」というスキルが
ないからです




広く浅く人付き合いが出来ない原因は
そこにあります





そして深く狭くで
まぁ物凄く痛い目にもあったので
広く浅くにトライもしてみたんですけど
無理だなぁという結論に至りました





と言うことはですよ?
結果的に
私が1人居ようと居なかろうと
そんなには影響は周りには無いって事です





生きる目的ってなんですか?
やっぱり
「思いやり合い」なんじゃないですかね?





人を思い、思われる事が
最終的には
存在価値に繋がっていくのではないかと
感じているんですが.....





争いからは何も生まれません。
争いはただ無駄に広がっていくだけです。







所詮はみなが他人なのですから。
どう人と繋がるかはとても
大切な事と思います。




ちなみに。
このブログは私自身を自分で認めてあげたい
そういう欲求からだと思います




なので主張は不特定なんです。
これは私のきっと自己顕示欲の一つに
位置していて




次にくるのが自己肯定だと思っています





逆はただの自慢で終わるので
周囲に煙たがられる。
そういうことなんではないですかね?







それでは今日はこの辺で。

貴方もきっと変われますよ




こんばんわ。雪ん娘です






今日は精神科に入院していた時の話し。



 

精神科と言っても種類はたくさんあります





私が初めて入院した病院は
かなり大きな精神病院でした




その病院には「ストレスケア病棟」
というのがあり




ロビーがあって個室で
お部屋の中にトイレもお風呂もあって
いわゆるリゾートホテルみたいなところでした




そこに入院した時の病名は
不眠症、不安神経症」だったかな?




当時は
外の世界に疲れすぎていたので
私にとっては天国みたいなところでした





食事もどこで食べてもいいし
規則は「外出時間、範囲が決まっている」位で。
私はノートパソコンを持ち込んでいたので
ほとんど部屋で1人でいるのが心地よかった。





その病院は精神病院としては
本当にかなりの敷地と規模が大きいので





結構有名な芸能人の方も利用していたみたいです
文字通り「ストレスを取る」為の病棟でした




なので私は3ヶ月入院してましたが
保険は基本使えなく
結構なお金を払って入院していました





そんな病棟だったので退院後は
「病院に帰りたい......」って思っていました





ただ1つホテルと違うところは
そのストレスケア病棟の周辺だけが
リゾートっぽくなっているというだけで





やっぱり一歩外に出ると「精神病院」
なんですね





そうですね、変な言い方をしたら
「動物園」みたいな感じでした





本当にやばい患者さんは
表には出てこれていないと思いますが
実際に






家に火をつけて両親を殺してしまった人とか
犯罪を犯して「精神的におかしい」と
判断された犯人も収容されている





そんな敷地も同じ敷地内にありました。





次に私が入院した時の病名は
心因性失声症」という病気でした





治療が必要な病気なので
病棟も変わり
閉鎖病棟に入りました





そこもやっぱり2~3ヶ月は
いたでしょうか?
その時の話しは以下の記事で書きました



kei0922.hatenablog.com
kei0922.hatenablog.com
kei0922.hatenablog.com





次に入院したのは
措置入院」になってしまったので
任意で病院は決められなく




東京都が決めた病院にはいりました
なのでお金も東京都が払う。
そして.......





退院も東京都の許可がなければ
出られない。そういう入院でした




病名は「統合失調症」でした
脳の病気ですよ?
絶対に違うと主張しましたが





周りから固められたので
どうする事も出来ませんでした。
「違います!」と言えば言う程
強制的に身体を拘束されたり





大人しくなる薬を注射されたりするので
言うことを聞くしかありませんでした





私の頭からは血が流れていました。
私がつけた傷ではないんですが
本当の事も言えない事情もあったので
結局は大人しく黙っているしか
ありませんでした。





あの時私は。
どうするべきだったんでしょうね





傷害で身内を訴えるべきだったんでしょうか?





まぁその話しは置いておいて(笑)






その病院はまず
ガッチャン部屋と言われる真っ白な壁の
2畳位の個室に入れられました





何もない真っ白な部屋で
むき出しのトイレとパイプで出来たベッド。
それだけしかない部屋。


こんなイメージです







片方の壁には鍵は内側からは開かないドア。
食事が通る隙間があるだけの扉。





対面は鉄格子でした。
看護師や医師が鉄格子の向こうを歩きます




だだこちらから何を話しかけても
全て無視でした




天井には監視カメラ。
24時間見張られていました





そんなところに10日間いました





最初は出して下さいと頑張っていました。
話を聞いて下さいと、問いかけてました。




だけど言えば言う程逆効果で
「大人しくしている事が最善だ」と
すぐに理解しました。





長すぎる1日。
歌を歌っていました。
気が触れたと周りは思ったかもですね(笑)





だけどそれしか
やる事がなかったんです.......





7日目で1時間だけ部屋の外に出れました
8日目は2時間。
9日目は3時間。




そして10日目は
新しい人を私の部屋に入れないといけなくなったという理由で
私はそのガッチャン部屋から出ることが出来ました





「問題を起こしたらまた入ってもらいますよ」
出る時にそう言われました。





「もう2度とその部屋にはいりたくないから
大人しくする。病院の決めた事には
逆らわない」
動物みたいな扱いだな。私も。と
そう思いました




その後は
ガッチャン部屋から出たというだけで。
決められたフロアから表に出ることは
許されませんでした





幸いだったのは
男性が1人もいなかったこと。
それは私にとって
とても安心出来る環境でした





喫煙室仲間も出来て
色んな事を話せる友達も出来て
みんな同じような悩みを抱えてて




慣れてきたら悪くはない環境でした





面会が許されるようになって
母に小説を8冊持ってきて貰うよう頼みました





私自身の心のバロメーターは
テレビが見れるようになる。
本が読めるようになる。
そうなると退院が近い。




過去2回の長期の入院から学んでいました




音楽はショパンを繰り返し聞いていました
特に「遺作」を好んで聞いていました




冬に入院して
病院の窓から桜が咲いているのが見える頃
退院しました




その後は2回位短期で1週間とか2週間
任意の病院に入院はしましたが





それが最後でその後は入院はしていません





理由は
もう「心」を表に出すことを
やめたからです。





心を無くしてしまえば
辛くもないし、悲しくも、苦しくもない





ただ淡々と生きて死ぬのを待つだけです
それで本当によかったんです





もう私に変化は訪れないと思っていました。





だけど........





訪れたんですよね。





それは全く意外な方向から。





それから私の人生は変わりました
今は
笑ったり怒ったり泣いたり
心が忙しいです(笑)





薬もお世話になっているのは
軽い睡眠薬だけです





こんなに人は変われる物なんですね





「心の中」が違うだけで
人は変わっていける物なんです





人を傷つけ追い込み
実際に他人の時間も価値も財産も奪う。
それも人間です





だけど





人の手を取り
「助け出せる」のも人です





どうか1人でも多くの人が
「助け出せる側」の人であって貰いたい





そう私は思います





なので今の私は





「全て」という訳ではないんですが
他人を過去とは違う形で
受け入れられるようにはなってきています






長くなってしまいましたが
今日はこの辺で。

2023年改めてこのブログの主旨





こんばんわ。雪ん娘です






新年明けましておめでとうございます。
2023年です。





昨年は私のつたない文章にも関わらず
このブログに寄っていただいてありがとうございました。





このブログは最初はゲームのブログでした。
始まりはゲームの仲間達とやっていた
ブログなんです





まぁ色々あってグループブログはやめて
私1人で引き継いで続ける事にして
2年になるでしょうか。





引き継いでからのブログのテーマは
「人の心」です






人の心を故意に傷付けてはいけないって事を
私なりに経験も交え書かせていただいています






世間では暴力反対は昔からでしたが
やっとパワハラだの、モラハラだの
マタハラだのと色んな言葉も出てきて





社内コンプライアンスなどでも
取り上げられるようになってはきましたが





まだまだ声を表にあげるという事は
実際には「出来ない」環境下であると思います





特に身内絡みであればある程
表には出てこない物です





身内から受ける暴言。
仲間内からの嫌がらせや誹謗中傷。
集団での陰湿ないじめ等。
それらは身近であればある程
なかなか信憑性もなく





証拠をつかまなければ
声をあげる事も許されない
それが現状だと思います





私には十数年に渡り
精神疾患と言われる病名が付けられていました




何故私は
「嫌なものは嫌だ」と
「出来ない物は出来ない」と
「もうそういう事はやめて欲しい」と
言えなかったんでしょうか。




それは私の心の弱さと
言うことを聞かなければもっと酷い事になる
という「怖さ」からでした






その上で私が分かった事は





「心が健康であれば
人は正しい答えを導きだせるし
強くもなれる」って事でした。





人に行動を起こさせるのはまず心が先なのです。





なので正しい行動には
正しい心が必要で
自身の心が病んでいてもその意思の強さで
正しい行動が出来なくもないですが




説得力はどうしてもかけてしまうのではないかと
思います。
何故ならアンバランスに映るからです





人の心を動かすのは私は
人の心でしかないと思っています





自身が主(魂とか言われる物ですかね?)であり
心はそれに従う物であり
身体はただそれに属しているだけと
理解しています




なのでまずは
自分をしっかり持つ事が大事で
そうすれば心もそれに伴い信念も強さも生まれ
いずれ行動に表れてきます




なので
まずは自分を認めてあげて
自分自身を愛せるようになれば
それは他者に対しても同じ振る舞いが
出来るようになるのではないかと





そう思うようになりました。





だけど実際はなかなか
自分を認める事も難しくましてや
自分を愛するなんてもっと難しいのですね





何故なら自分の事を一番見ているのは
自分自身だからです





そしてそう思える人程
心が正直すぎて
傷付いたり、孤独を好んだり、人を避けたり
闇が深いように私には見えてしまいます




自分を騙せる人は
他者も平気で騙せる。




自分を傷付ける人は
他者も平気で傷付けられる。




それと同じ理屈で
自分を愛せる人は
本当の意味で他者を愛せるようになる。




そういう事なのかな?って
思ってきたところです





心が病んでしまうと
失う物はたくさんあります
私的に1番大きな物は「時間」だと
思っています





どうか全ての人に対して平等であり
有限である「時間」という物を
1人1人が有意義に
2023年も過ごして貰いたいなと思います。





本年も細々とですが
ブログ更新はしていこうと思っていますので
変わらずお立ち寄りいただければ
嬉しく思います





それでは今日はこの辺で。