経験はプライスレス

こんにちわ。雪ん娘です。リニューアルです!日々色んな事がありますが経験はお金のかからない財産だと思います。だって経験は自分だけの物です。それを生かすも殺すも自分次第。そんな私の日々のつぶやきです。

貴方もきっと変われますよ




こんばんわ。雪ん娘です






今日は精神科に入院していた時の話し。



 

精神科と言っても種類はたくさんあります





私が初めて入院した病院は
かなり大きな精神病院でした




その病院には「ストレスケア病棟」
というのがあり




ロビーがあって個室で
お部屋の中にトイレもお風呂もあって
いわゆるリゾートホテルみたいなところでした




そこに入院した時の病名は
不眠症、不安神経症」だったかな?




当時は
外の世界に疲れすぎていたので
私にとっては天国みたいなところでした





食事もどこで食べてもいいし
規則は「外出時間、範囲が決まっている」位で。
私はノートパソコンを持ち込んでいたので
ほとんど部屋で1人でいるのが心地よかった。





その病院は精神病院としては
本当にかなりの敷地と規模が大きいので





結構有名な芸能人の方も利用していたみたいです
文字通り「ストレスを取る」為の病棟でした




なので私は3ヶ月入院してましたが
保険は基本使えなく
結構なお金を払って入院していました





そんな病棟だったので退院後は
「病院に帰りたい......」って思っていました





ただ1つホテルと違うところは
そのストレスケア病棟の周辺だけが
リゾートっぽくなっているというだけで





やっぱり一歩外に出ると「精神病院」
なんですね





そうですね、変な言い方をしたら
「動物園」みたいな感じでした





本当にやばい患者さんは
表には出てこれていないと思いますが
実際に






家に火をつけて両親を殺してしまった人とか
犯罪を犯して「精神的におかしい」と
判断された犯人も収容されている





そんな敷地も同じ敷地内にありました。





次に私が入院した時の病名は
心因性失声症」という病気でした





治療が必要な病気なので
病棟も変わり
閉鎖病棟に入りました





そこもやっぱり2~3ヶ月は
いたでしょうか?
その時の話しは以下の記事で書きました



kei0922.hatenablog.com
kei0922.hatenablog.com
kei0922.hatenablog.com





次に入院したのは
措置入院」になってしまったので
任意で病院は決められなく




東京都が決めた病院にはいりました
なのでお金も東京都が払う。
そして.......





退院も東京都の許可がなければ
出られない。そういう入院でした




病名は「統合失調症」でした
脳の病気ですよ?
絶対に違うと主張しましたが





周りから固められたので
どうする事も出来ませんでした。
「違います!」と言えば言う程
強制的に身体を拘束されたり





大人しくなる薬を注射されたりするので
言うことを聞くしかありませんでした





私の頭からは血が流れていました。
私がつけた傷ではないんですが
本当の事も言えない事情もあったので
結局は大人しく黙っているしか
ありませんでした。





あの時私は。
どうするべきだったんでしょうね





傷害で身内を訴えるべきだったんでしょうか?





まぁその話しは置いておいて(笑)






その病院はまず
ガッチャン部屋と言われる真っ白な壁の
2畳位の個室に入れられました





何もない真っ白な部屋で
むき出しのトイレとパイプで出来たベッド。
それだけしかない部屋。


こんなイメージです







片方の壁には鍵は内側からは開かないドア。
食事が通る隙間があるだけの扉。





対面は鉄格子でした。
看護師や医師が鉄格子の向こうを歩きます




だだこちらから何を話しかけても
全て無視でした




天井には監視カメラ。
24時間見張られていました





そんなところに10日間いました





最初は出して下さいと頑張っていました。
話を聞いて下さいと、問いかけてました。




だけど言えば言う程逆効果で
「大人しくしている事が最善だ」と
すぐに理解しました。





長すぎる1日。
歌を歌っていました。
気が触れたと周りは思ったかもですね(笑)





だけどそれしか
やる事がなかったんです.......





7日目で1時間だけ部屋の外に出れました
8日目は2時間。
9日目は3時間。




そして10日目は
新しい人を私の部屋に入れないといけなくなったという理由で
私はそのガッチャン部屋から出ることが出来ました





「問題を起こしたらまた入ってもらいますよ」
出る時にそう言われました。





「もう2度とその部屋にはいりたくないから
大人しくする。病院の決めた事には
逆らわない」
動物みたいな扱いだな。私も。と
そう思いました




その後は
ガッチャン部屋から出たというだけで。
決められたフロアから表に出ることは
許されませんでした





幸いだったのは
男性が1人もいなかったこと。
それは私にとって
とても安心出来る環境でした





喫煙室仲間も出来て
色んな事を話せる友達も出来て
みんな同じような悩みを抱えてて




慣れてきたら悪くはない環境でした





面会が許されるようになって
母に小説を8冊持ってきて貰うよう頼みました





私自身の心のバロメーターは
テレビが見れるようになる。
本が読めるようになる。
そうなると退院が近い。




過去2回の長期の入院から学んでいました




音楽はショパンを繰り返し聞いていました
特に「遺作」を好んで聞いていました




冬に入院して
病院の窓から桜が咲いているのが見える頃
退院しました




その後は2回位短期で1週間とか2週間
任意の病院に入院はしましたが





それが最後でその後は入院はしていません





理由は
もう「心」を表に出すことを
やめたからです。





心を無くしてしまえば
辛くもないし、悲しくも、苦しくもない





ただ淡々と生きて死ぬのを待つだけです
それで本当によかったんです





もう私に変化は訪れないと思っていました。





だけど........





訪れたんですよね。





それは全く意外な方向から。





それから私の人生は変わりました
今は
笑ったり怒ったり泣いたり
心が忙しいです(笑)





薬もお世話になっているのは
軽い睡眠薬だけです





こんなに人は変われる物なんですね





「心の中」が違うだけで
人は変わっていける物なんです





人を傷つけ追い込み
実際に他人の時間も価値も財産も奪う。
それも人間です





だけど





人の手を取り
「助け出せる」のも人です





どうか1人でも多くの人が
「助け出せる側」の人であって貰いたい





そう私は思います





なので今の私は





「全て」という訳ではないんですが
他人を過去とは違う形で
受け入れられるようにはなってきています






長くなってしまいましたが
今日はこの辺で。